生まれるということ、生きるということ、死ぬということ
この三つの人生に隠された意味を語る
私の家族は父母、長男、長女、次女(私)の五人家族。仲は悪くはないけど特別、決して必要以上に仲がいいとは言えなかったと思います。
あの出来事が起こるまでは。
両親は兄と姉には厳しかったと思います。末っ子の私には甘かったと思います。私と兄姉とは歳が10年以上離れていて、両親にも兄姉にも可愛がってもらいました。
それが当たり前だと幼いながらにも思っていました。両親も兄姉もみんな好きです。
でもそんな愛情が私には重苦しかったのも事実です。思春期になるにつれ私は家族に対して違和感を持つようになりました。
本当の家族なんですが何か家族という意識が芽生えず家庭内でも孤立していたような気がします。
別に血が繋がっていないとかではなく、
「なぜ私はここにいるのだろう?」という違和感がいつも渦巻いていました。居場所がありませんでした。常に息苦しかったです。
そんな異質な私を両親や兄姉はとやかく言いませんでしたが、性格の問題だと思ってデリケートな人格部には干渉してこなかったので、そこは有り難かったです。
ですが私は徐々に人格を形成している闇の部分が大きくなっていきました。つまり自己否定です。自分を肯定できずに自分を咎める事しか考えられなくなりました。
「愉しんでいる自分は悪だ。」
「笑っている自分は悪だ。」
「感動している自分は悪だ。」
「全部自分が悪いんだ。」
そうやって私はどんどん自分の光りの部分を削ぎ落として生きてきました。
無気力で努力を怠る怠け者です。将来も考えず嫌な事から逃げてきた人生です。やがて、なぜ自分は生まれたのか、生まれた意味を求めるようになりました。意味があるから生まれてきたのだと。何かが足りないから学ぶためにこの世に生を受けたのだと。以来、生に関しては私の人生のテーマになりました。
そんな日常にもがいていた時です。
突然、姉が倒れました。最初は疲れからくる風邪だと軽くみていたのですが一週間、二週間と続く疲労に、家族そして姉自身、困惑を覚えるようになりました。
後日、病院での検査でわかった事は家族を凍りつかせる診断内容でした。
結論から言うと、姉は若年性白血病という病気でした。余命は三ヶ月、もって一年。
姉には公表しないというのが家族のルールでした。
私は姉にどう接していいのかわからず顔を合わせるのがとても恐かったのです。
「なぜ姉が…」
これしか頭には思い付きませんでした。と、同時に
「自分が姉の代わりに病気になればよかったのに…」
とも思いました。
もう姉の前では笑えなくなりました。姉の前で笑顔を見せるという事は自分自身をも追い込む事になり、より嫌悪感に苛まれるからです。
そんな笑顔が消えた無表情な私と接している姉も、いつしか笑顔が消えていきました。
髪は抜け落ち、目が窪み、頬はこけて、身体は痩せ細っていきました。肋骨は浮き出て、腕脚は棒のように、か細く、以前の健康的な姉の面影はありませんでした。
辛い闘病生活と日に日に弱っていく姉は窓の外の風景をぼんやりと眺めては、ときおり深いため息と苦しそうな咳を繰り返していました。
入院当初はしきりに自分の病名を聞いてきた姉でしたが最近は何も聞こうとしません。もしかしたら悟っているのかも知れません。
姉は最近、特に私に対しては
「お母さんとお父さんの言う事ちゃんと聞くんだよ」
「一生懸命勉強して立派な大人になりなよ」
「今まで意地悪とかしてごめんね」
「お姉ちゃんの服、自由に着てもいいからね」
というような事を私に言いながら、私の頬っぺたを、姉は手の甲の指で摩り、まるで私の感触を焼き付けるかのようにしていました。
私は
「そんな事よりも早く良くなって、また一緒に遊ぼう」
と言うのが精一杯でした。
姉はか弱い小さな声で
「そうだね…」
と言いながら優しく微笑んでくれました。
姉の笑顔を見たのはこれが最後だったかも知れません。
これ以上、私に何ができるのでしょうか?
私は毎日のように、夜一人ベットのなかで泣いていました。
幼い頃の姉との思い出を記憶から呼び覚ましながら…
優しかった姉、明るかった姉、積極的な姉、みんなから好かれ慕われていた姉…
代われるなら自分が代わってやりたいと思いながら涙が溢れ目を腫らす日々が続いたある日、その時は突然やってきました。
深夜に響き渡るけたたましい電話の音…
ずっと姉に付き添っている母からの電話でした。
母の受話器ごしの息遣いから私は覚悟しました。
どんな内容だったのか記憶はありませんが、気付いたら病室の姉のもとにいました。
父、母、兄、私、家族に見守られながら姉は最後の最後まで必死に闘いぬいていました。
声をかけると弱々しい浅い波のレーダーグラフが大きく振れては上側に飛び越えるほどの波を繰り返していました。
母も私も姉の手を握りしめ声にならない呼びかけ、泣き声や鳴咽だけが深夜の病室に響いていました。父も兄も体を震わせ静かに泣いていました。
そんなやり取りを繰り返し、レーダーの振り反応も鈍くなってきた時、父が
「めぐ(仮名)は一生懸命頑張った。もう苦しまなくてもいいんだよ」
と姉に優しく話し掛けました。私たち家族にも
「もう楽にしてあげよう。充分頑張った」
と父自身に言い聞かせているように話していました。
その言葉を聞いて安堵したのか姉は最後は眠るように静かに逝きました。
荒々しいせわしない呼吸がだんだん小さく弱く静かに長く深く…
午前2時43分、享年24歳、永眠
あんなに苦しそうに息も絶え絶えだった姉には意識もなく、実際、声は聞こえていないのかも知れませんが、それでも私には姉が
「今までありがとう。家族みんなと過ごす事ができてとても幸せだったよ。みんな元気でね。ありがとう」
と言って旅立ったような気がしてなりませんでした。
哀しみと絶望の中で泣きじゃくる私は、人が死ぬとはこういう事なのか?と冷静的になりながらも直感的に感じていました。
姉がこの世に生まれた意味、姉が若くしてこの世を去った意味、姉の人生とは姉にとってどんな意味を持っていたのか考えさせられました。
「なぜ自分ではなく姉だったのか?…」
自問自答を繰り返しても答えなど見つけれるはずもなく、以前にも増して私は闇に支配され続けました。
「これが姉の運命だった」
そう思う事ができればどんなに楽だったか…
そして月日は流れ私は今、姉と同じ年齢になりました。姉の事を忘れた日は一度もありません。
姉が亡くなり無意味な自問自答を繰り返していたあの日から、私の人生の目標ができました。
それは人生を全うすること。
それ以上でもそれ以下でもなく、自分の与えられたたった一つの命を燃やし続けること。
それが私の生まれた意味だと気付いたのです。
失って初めて気付いた。
普通に存在していた普通の事がいかに素晴らしい事だったのかを。
愚かな私は普通の事が素晴らしいとも思わず蔑ろにしていました。
そして愕然として初めて気付く。
失ったものは二度と手に入らないと…。
夢は現実の続き…。
…現実の続きは夢。
現実世界で問題があるから睡眠世界の夢でも現実の続きを見てしまう。
現実と夢は合わせ鏡。
夢の中でも逃げ隠れする私は現実でも逃げ隠れして生きている。
起きても寝ても覚めても心は疲労感に支配され私に安らぎの時はこない。永遠に…。
死んでも死んだ事にも気付かずに安らぎを求め続けるのだろう。
たった一つだけ誇れるもの。
それは姉が死をもって教えてくれました。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。(_ _)
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